肉食は変? [技術]
素晴らしい牛だという印象をうけた。健康的な体格なの
もそうだが、なによりその目が知性を感じさせるような
愛らしいものであった為だ。直後のシーンで厚切りのス
テーキ肉を手にした酪農家が誇らしげに笑みを浮かべて
いるのを見てふと思った。手塩にかけて育てた愛らしい
牛を食肉にするためにト殺(または引き渡す)するのだか
ら本人が気づいていないだけで、酪農家というのは心の
底に深い傷を負っているかも知れないと。
しかし、牛のiPS細胞を使ったらどうだろうか?肉だ
けを造りだすのはそう難しいことではないだろう。
iPSで作った肉は、生体ではあっても個体ではない。
それを食しても殺生にはあたらない。培養したキノコを
食べるのとなんら変わりは無いはず。
殺生ではなくなるなら、宗教上の信条で食肉を拒んで
いたベジタリアンは肉を食べるようになるだろうか?
おまけに無菌的に作れるから牛の肝臓だけを造り出せ
ば今やご法度のレバ刺しも復活させられる。
肝臓と言えば、ガチョウにむりやり餌を飲み込ませて
脂肪肝にしてつくるフォアグラは、動物虐待としてフラ
ンス以外のユーロ圏では違法行為とされているとのこと。
これもiPSを使えば…。
動物虐待と言えば、絶滅危惧という点からも日本が非
難を受ける捕鯨が思い浮かぶが、これもiPSで…。
絶滅を危惧することもなく、動物虐待の誹りを受ける
こともない。iPSの恩恵は、病気の研究よりも食文化や
経済の方が容易に享受できるかも知れない。
時間の決め方は変? [技術]
から行き当たりばったりなのだが、今年初めての散歩で
立ち寄ったのは小金井市にある「通信技術研究機構」、
通称NICT。無料で見学できる展示コーナーがある。
なんと、こんな近くで日本の標準時が生成されていた
とは知らなかった。
標準時というと僕らの世代はグリニッジ天文台を0とし
て日本では明石が基準と教えられた。
しかし今では地球という天体とは無縁な原子時計によ
って、時が測られるようになった。
色んなことが、技術の進歩で絶対的な定義へと変更さ
れていくにつれ、身近に肌で感じるようなモノの接し方や
考え方からどんどん遠ざかってしまうような寂しさを感じ
るのは無意味なセンチメンタリズムだろうか?
錬金術は変? [技術]
する危機感は年々増大し、頂点に達しているかに思える。モノ
づくりに欠かせないレアアースの争奪は熾烈を極めている。
しかし日本には技術がある。技術?技術があっても材料とな
る元素がなけりゃどうしようもないでしょ…と思われがちだが、
モノづくりの技術ではない。日本には錬金術師がいるのだ。
彼らの仕事ぶりを耳にすると希望がわいてくる。
周知の通り、錬金術は事実上ありえない。1個の原子の中
で、陽子、中性子、電子の数を自在に変えなければならない
からだ。あえてやろうとするならば、核融合や核分裂のような
大がかりな設備とエネルギーが要る上に制御不能のリスクも
あるだろう。
しかし、私たちが欲しているのは1粒の元素ではない。モノ
づくりは当然、元素1粒ずつなどではなくある程度の大きさの
分子、特に結晶などになった物質を使ってこそ可能だ。
であれば、その大きさの物質が、手に入らない元素と同じ
機能をもったものであればいい。
つまり、材料工学の研究者達こそが錬金術師といえる。
一昔前までは、単なる試行錯誤と経験だけに頼っていたよう
な側面が否めなかったが、今では量子力学も取り込んで、理
論的に物質の設計を考えることが可能になりつつある。
大きなポイントはやはり電子。結晶の構造を保つ電子の
空間配置と、その中で自由に動ける電子の数。
設計した配置と数になるためには、元素の何と何を化合
させればよいのか?そんな考え方ができる段階にまできつ
つあるようだ。
3D写真が簡単に作れたら変? [技術]
必要なものは…デジカメ、三脚、パソコン、エクセル、プリンタ。
※テーブルの上のコップなどが被写体なら、三脚も不要。
交差法(後述)で人間を1メートルくらいの距離で撮影する場合。
①明るい所に被写体を立たせる。
②被写体はなるべく動かないように。
③三脚で、正面から鼻を中心線にするつもりで1枚撮る。(これが左目用写真。)
④瞬時に三脚を半歩右にずらし、また鼻を中心線にするつもりで1枚撮る。(こ
れが右目用写真。)
⑤2枚の写真をパソコンに取り込む。
⑥エクセルシートに「右目用」写真を貼りつける。
⑦印刷しやすい大きさに写真を縮小し、その縮小パーセントを覚えておく。
⑧次にその写真の右側に「左目用」写真を貼りつけ、同じパーセントで縮小す
る。
⑨2枚の写真を半セルくらい離し、横枠線にそろえて並べ完成。
⑩このエクセルの画面上でも交差法で見ると立体に見えます。
⑪目的に合わせた紙に印刷する。私は年賀状を横にして印刷しました。
驚くのは、料理のように目分量でやってみても作れるという事。
なので、上記の説明には何㎝とかという具体的な数値は書きませんでした。
【交差法】
①自分の右手の人差し指にピントを合わせ「寄り目」になる。
②「寄り目」にしたまま、左手に持った印刷した紙をゆっくり近づけたり遠ざけ
たりする。
③2枚のハズの写真が、きれいに3枚に見えた時に3枚のうちの中央の写真に
視線を移す。この時、絶対にマバタキはせずにそーっと視線を移すこと。
【原理のポイント】
寄り目にすることで右目の視線と左目の視線が交差し、
右目は紙の左に配置した右目用写真を見、
左目は紙の右に配置した左目用写真を見ている。
だから、撮影の時には
右目の視線に写る絵と
左目の視線に写る絵を
同時に撮影するつもりで撮ること。
3Dに関する過去記事は下記。
http://zanki.blog.so-net.ne.jp/2007-12-10
3Dテレビは変? [技術]
メガネにコードが付いていたので店員に聞いてみると、実際
の商品は、コードレスでメガネにボタン電池を入れるそうだ。
過去記事(http://zanki.blog.so-net.ne.jp/2007-12-10)
で、3Dを実現する方式は色々あると書いたが、メガネに電源
を必要とするという事は、偏光方式ではなく、左右の目を交互
に隠す電気シャッター方式なのだろう。メガネの中央が受光部
になっておりここを指で隠すと、3Dにならなくなる。テレビとメ
ガネが映像とシャッターを同期させるのに必要なようだ。
偏光方式ではないので、映画アバターで持ち帰ったメガネで
見てもやはり3Dにならなかった。
色々な方式があるのに今、この方式のテレビを買ってしまっ
て大丈夫なのだろうかと思った。が、視聴の段階での実現方式
は色々あるが、撮影自体は共通で、右目用と左目用の映像デー
タを別個に送信し、受診したテレビがこのデータをそのテレビ
の方式に合わせて高速で処理するというのなら心配ないかも知
れない。
ところで、やはり今の3D映像は現実のビジョンとは違うという
違和感がある。奥と手前の感覚はあるのだが個々の物体が紙
人形のように立体感が無い。
ともあれ、石川遼くんのゴルフショットで飛び散る砂が、テレビ
画面から飛び出して、より手前まで飛んでくるように見えるのは
確かに凄い。
ふと思ったが、ホラー映画「リング」の貞子が、テレビから這い
出してくるシーンをこれで観たら怖いだろうな…。
極微光は変? [技術]
先日新聞の地域欄で面白い技術を開発した会社が紹介されていた。
モノや食品が劣化、腐敗する時に出る極微光をとらえる機械を作った
とある。早速メールするとすぐに丁寧な返事が来た。
それによると、劣化によって光が出るのではなく、あらゆるものは
常に極微光を出しており、劣化や腐敗、つまり組成が変化、変質する
ことにより、その光のスペクトルが変わるので、それをとらえる技術
を開発したという事らしい。
この技術があれば、昨今問題となっている賞味期限という概念自体
が不要となるかも知れない。
それに…冷蔵庫で賞味期限の切れてしまった食べ物の毒見を世のお
父さんがさせられる事もなくなるか…も?えっウチだけ?
続・続3Dは変? [技術]
「立体Expo ’07」では色々な方式の3D映像を観たが、
どれもいまひとつリアリティーに欠ける。
たとえば、手前の人より奥の人の方が確かに奥にいる
ようには見えるのだが、どちらの人も紙人形のように薄っ
ぺらく見える。丁度「とびだす絵本」のように空間内の
位置関係は判るのだが、個々のモノがあまり立体的には
見えない。
ところがこれは大きな個人差があるとのこと。前の記事
でも書いたように、科学技術がするのは左右の目に違う画
像を見せるところまで。その先は知らない。各個人の脳が
勝手に2つの画像を材料にして本人に3Dの世界を見せて
くれているのだ。
脳がどんな事をやらかしているかはまだ解明されていな
い。だから、私の脳は、あなたの脳とは違うやり方で立体
視を実現しているのかも知れないというわけだ。
しかし技術者というのは現実主義者だから、そんな事は
おかまいなし。判らない事はほっといて、とりあえず判った
原理を製品にしようとするんだなー。
続・3Dは変? [技術]
「立体Expo ’07」で聞いた話だが、来年あたりからもう
3Dのテレビ放送が始まるらしい。既にBS11で試験放送
が始まってるとのこと。勿論、専用メガネと専用テレビが
必要だが、家庭で3Dが楽しめる時代がこうもあっさり来よ
うとは。
しかし、前回述べた通り、3Dを実現する方法は色々ある
ので、ビデオやDVD同様、方式を統一してもらわないと、ま
た消費者が混乱させられる事になる。
3Dは変? [技術]
国際画像機器展と同時開催の「立体Expo ’07」で知った事。
3D画像を見せる基本原理はただ1つ。
「右目と左目にそれぞれ違う画像を見せること。」ただそれだけ。
しかし、それを実現させる方法やアイディアは色々ある。
例えば、1つのテレビ画面に縦偏光の画と横偏光の画を映し、
右目に縦偏光、左目に横偏光のガラスの入ったメガネをかけ
て観るとか、プロジェクターでスクリーンに、右目用の画と左目
用の画をコンマ何秒かで交互に切り替えて映し、電気的な仕
掛けのあるメガネがそれにシンクロして、右目と左目を交互に
目隠しするとか。
多くのものは、時間差や偏光などにより1つの画面に2つの
画を写すものだったが、一番ダブりが無くキレイに見えたのは、
1つの画面に無理矢理2つの画を入れ込むのではなく、上下
に並べて写し、それを鏡で覗き込むという方法だった。右目
用の鏡は上の画を、左目用は下の画を映すようになっていた。
鏡で観る為、テレビに映し出される画は本来の画を裏返した
ものである。昔の子供雑誌の付録にあったようなローテクな
アイディアがハイテクに勝るようで面白い。