「心の科学」は変?(その6) [精神世界・自己制御]
・著者は科学的訓練を十分積んでいる科学者であると自負している。
・特異な認知能力、いわゆる超能力には興味すらない否定派、懐疑派だった。
・しかし、ダウジングという非科学的方法で、娘の盗まれたハープを取り戻
すことが出来たという現実をつきつけられる。
・その理不尽な事態を払いのけんがために特異的認知能力について調べ始める。
・同業者(心理学者)やその他大勢の信頼すべき知人、科学者が、意外にも
特異的認知体験を持っており、ほとんどがそれを隠していた事を知る。
・欠陥を指摘できない十分科学的な実験や論文も数多く存在し、統計学的に
は、特異的認知という現象は実在すると認めざるを得ない事を知る。
・にもかかわらずこれまで科学の本道から阻害されてきた理由は、人間、特
に科学者のパラダイムシフトに対する恐れだと考え、それは真の科学の進
歩には好ましくないと指摘する。
・実験や能力者の証言から導かれた推論は、「私」は「あなた」と独立した
別個の存在ではないということ。人間同士どころか宇宙の全ては不可分の
つながった存在であり、従って我々は全ての事物を知っているが、「知っ
ているという事を知らないだけ」なのだという事だ。論理的思考を弱め、
自他の区別を消す事で、このつながった全体へのアクセスが可能になる。
・その意識の切り替えの原理として「夜の眼と昼の眼」及び「図と地」とい
った例を挙げ、「相補的」な意識の姿に着目する。
・つまり特異的認知で捉える事のできる情報は、星の光のように微弱で、太
陽光のような強烈な理性や論理思考によって見えなくなっている。
・また心理学の教科書などによくある花瓶と横顔の絵。一見すると花瓶に見
える図が、花瓶の輪郭に注目するとヒトの横顔に見えるあれだ。花瓶に見
えてる時は横顔は見えず、横顔に見えてる時は花瓶は見えない。どちらを
図とみなし、どちらを地、つまり背景とみなすか。図と地は同時には認識
できないという意識の特性が、特異的認知に関わっていそうだと著者は考
えた。
この本は著者が懐疑派から準肯定派へ変わっていく過程を、読者が共感を
もって追体験できるところに大きな存在価値があると思う。
すなわち、超心理学的現象は間違いなく存在するという確信を得る事がで
きる。
さて特異現象の実在が確信できたら次はそれを説明するためのモデル作り
となるのだが、残念ながらこの本では下の様なシンプルで幼稚なものしか提
示されていない。すなわち、意識⇔無意識、古典物理学⇔量子力学の関係が、
非常によく似ていると言うのだ。
|
意識 | 古典物理学
--------------
無意識 | 量子力学
|
我々読者にとっては全く物足りない図だが、今後特異的知覚を解明するに
あたり、物理学者と心理学者が協力関係を築くためのコンセンサスを得るの
には非常に意義のあるモデルであると著者は興奮している。
そしてこのモデルから一歩進んで答えに近づく本が、
「量子の宇宙でからみあう心たち(ディーン・ラディン著)」だ。
・特異な認知能力、いわゆる超能力には興味すらない否定派、懐疑派だった。
・しかし、ダウジングという非科学的方法で、娘の盗まれたハープを取り戻
すことが出来たという現実をつきつけられる。
・その理不尽な事態を払いのけんがために特異的認知能力について調べ始める。
・同業者(心理学者)やその他大勢の信頼すべき知人、科学者が、意外にも
特異的認知体験を持っており、ほとんどがそれを隠していた事を知る。
・欠陥を指摘できない十分科学的な実験や論文も数多く存在し、統計学的に
は、特異的認知という現象は実在すると認めざるを得ない事を知る。
・にもかかわらずこれまで科学の本道から阻害されてきた理由は、人間、特
に科学者のパラダイムシフトに対する恐れだと考え、それは真の科学の進
歩には好ましくないと指摘する。
・実験や能力者の証言から導かれた推論は、「私」は「あなた」と独立した
別個の存在ではないということ。人間同士どころか宇宙の全ては不可分の
つながった存在であり、従って我々は全ての事物を知っているが、「知っ
ているという事を知らないだけ」なのだという事だ。論理的思考を弱め、
自他の区別を消す事で、このつながった全体へのアクセスが可能になる。
・その意識の切り替えの原理として「夜の眼と昼の眼」及び「図と地」とい
った例を挙げ、「相補的」な意識の姿に着目する。
・つまり特異的認知で捉える事のできる情報は、星の光のように微弱で、太
陽光のような強烈な理性や論理思考によって見えなくなっている。
・また心理学の教科書などによくある花瓶と横顔の絵。一見すると花瓶に見
える図が、花瓶の輪郭に注目するとヒトの横顔に見えるあれだ。花瓶に見
えてる時は横顔は見えず、横顔に見えてる時は花瓶は見えない。どちらを
図とみなし、どちらを地、つまり背景とみなすか。図と地は同時には認識
できないという意識の特性が、特異的認知に関わっていそうだと著者は考
えた。
この本は著者が懐疑派から準肯定派へ変わっていく過程を、読者が共感を
もって追体験できるところに大きな存在価値があると思う。
すなわち、超心理学的現象は間違いなく存在するという確信を得る事がで
きる。
さて特異現象の実在が確信できたら次はそれを説明するためのモデル作り
となるのだが、残念ながらこの本では下の様なシンプルで幼稚なものしか提
示されていない。すなわち、意識⇔無意識、古典物理学⇔量子力学の関係が、
非常によく似ていると言うのだ。
|
意識 | 古典物理学
--------------
無意識 | 量子力学
|
我々読者にとっては全く物足りない図だが、今後特異的知覚を解明するに
あたり、物理学者と心理学者が協力関係を築くためのコンセンサスを得るの
には非常に意義のあるモデルであると著者は興奮している。
そしてこのモデルから一歩進んで答えに近づく本が、
「量子の宇宙でからみあう心たち(ディーン・ラディン著)」だ。
rararinndouさんはじめまして。
記事をアップした瞬間での速攻ナイスありがとうございます。
by zanki (2008-05-26 18:06)
私もニューサイエンスや精神世界系などを含む神秘学・超科学とやらにはどちらかと言えば「懐疑派」です。ただこれらの分野の中には、実証的なアプローチの仕方がまずいだけで、無慈悲には切り捨てられない「未科学」と呼べる分野もかなり混じっているようにも思われるので、「完全否定」してしまう人たちにも私としてはいささか抵抗感があります。ただそれらを「新しい科学」だと称するには、全然科学的なアプローチになっていなかったりするので、安易にそう呼んでしまうことにも同様に抵抗感があります。
古典物理学と量子物理学を結びつけているのは、実は「最小作用の原理」(ハミルトンの原理)と呼ばれるものであり、量子力学の手法として前期量子論で争われたシュレーディンガーの「波動力学」とハイゼンベルグの「行列力学」の関係が、綺麗に結びついたのはその原理をベースとするファインマンの「経路積分法」と呼ばれる手法だったように思います。
それでは、果たして、同様に、人間の「無意識」の古典的最短経路が「意識」を構成し得るのか…ということになるでしょうね。
by Φ=WHY? (2008-06-08 06:50)
>「新しい科学」だと称するには、全然科学的なアプローチになっていなか
ったりする
私もこの本を読むまで全く同感でした。しかし、「未科学」の未科学たる由
縁は、もともと従来科学には無いアプローチが必要な研究領域だという事
なのです。
「再現性が無い」、「実験者の意識によって結果が左右される」といった
事象には従来のアプローチは無効なわけです。そこで、せいぜい、この本
では統計学的手法で特異現象はあるということを公言するに留まっていま
す。それでも著者は準肯定派で留まっていたようですが、残念ながらこの
本を書いた直後に亡くなられたとの事。
by zanki (2008-06-09 01:39)
>人間の「無意識」の古典的最短経路が「意識」を構成し得るのか…
この本だけだと、確かにそんな連想も浮かびますが、この本の次に
読んだ「量子の宇宙でからみあう心たち(ディーン・ラディン著)」では、
無意識とかよりもっと以前の段階、すなわち神経伝達の段階で量子
効果が関与するのでは?という仮説が紹介されていました。
by zanki (2008-06-09 01:44)